高等学校におけるアクティブラーニング型授業の実践

目的を明確に持ち、できるところから・協力し合って導入に取り組む

アクティブラーニング型授業の導入事例

岐阜県立可児高等学校 浦崎太郎先生

<1>可児高校へのアクティブラーニング導入の経緯

アクティブラーニングとの出会いは中学の授業

浦崎太郎先生
浦崎太郎先生

以前はアクティブラーニングと対極とも言える教育方法が採られていた可児高校に、全校的にアクティブラーニングを導入しました。そこで何が起こったのかを、経緯を含めてお話ししたいと思います。

 

私自身がアクティブラーニングに出会ったのはH中学でした。岐阜県には中高交流人事という仕組みがあり、2004年度の1年間だけ中学に勤めました。それまでは中学は何も知りませんでした。

 

ところが、授業研究や授業スタイルについては、中学がはるかに先進的でした。もちろん学校差はありますし、個人差もさらに大きくあります。しかし、まじめにやっている学校や先生については、私たち高校教員が足元にも及ばないくらい、きちんとした技能を持って取り組んでいました。そして、たまたま私が行った中学校で出会ったのがアクティブラーニングです。当時はアクティブラーニングではなく「小グループ課題解決学習」と呼ばれでいました。

 

私自身が中学のときにこうした授業を経験したことがなかったので、「これが学びというものだ」と実感しました。私が見た授業内容は二次関数です。最初にオリエンテーションして、その後は自分達で考え、発表していきます。いちいち教師が教えなくても、グループ内でどんどん学習が進んでいきます。これは非常に新鮮な光景でした。

 

それを見ていて、「私もやりたい」と思い、この新しい授業を始めました。私は理科の教員ですから、中学2年生の理科の化学反応式の授業で、高校で扱うレベルの「プロパンの燃焼」と「エチルアルコール」でやってみました。

 

具体的には、原子1個ずつをコインのようなカードにして、それを並べることで化学反応式の係数を理解させようとしました。やり方だけ伝えたら、あとは生徒達がどんどん自分達でやっていきました。プロパンの化学反応式の係数もこちらが驚くほど理解し、エタノールも同様でした。「とにかく学び方さえ伝えておけば、生徒はどんどんやっていくんだ、教え込む必要はないんだ」と感じました。

 

その話をしても、「それは中学校だからできるんでしょ、高校はそういう授業はできないよ」と高校の先生は皆さんおっしゃいました。そこで2005年度に高校に戻ってきて、このアクティブラーニング型授業を始めました。当時の高校1年生「理科総合A」は化学的内容ですが、元素の周期律を自分達で求めて行くために、一覧表にカードを置いていく方法を使いました。そうしたらカードに書かれている情報を理解して、周期律を求めることができました。

 

これによって、高校の内容でもうまく工夫し仕組んでやれば、生徒達は自分達で学んでいけることを確かめることができました。そして2011年度に可児高校に異動し、本格的に高校でのアクティブラーニングに取り組みました。

 

アクティブラーニングには「いかにアウトプットさせるか」というプロセスを入れる

可児高校がアクティブラーニングを導入した背景はこの4点です。

 

1点目は、可児高校は伝統的に、宿題の量が半端ではありません。しかしそのような学習指導体制にはついて来られない、ついて来ようとしない生徒が次第に増えてきました。そして進学実績も昔のような勢いが失われつつありました。

 

2点目は、アウトプットの必要性を職員間で共有できていたということです。「教師が一生懸命教え込むだけではだめだよね、生徒自身に学んだことをアウトプットさせるプロセスを上手に入れていかないとだめだね」ということが、まずは私のいた学年で共有されていました。

 

そこで「いかにアウトプットさせるか」、という方針を取りました。(1)まずは、わかっている人から説明を聞いて理解しなさい。(2)次の段階では復唱するか、次の人に説明して自分が理解しているかを確かめなさい。(3)その上で、答案を書く。つまり自力で解けることを自分で確かめなさい。そこまでいったら、(4)私のところにテストを受けにきなさい、というステップを仕組みました。

 

物理の授業では、わかった生徒がまだわかっていない生徒に教えていました。これでアウトプットが重要なことが同僚の間に広まっていきました。

 

当時私が学年の進路担当をしていたことで、アウトプットは重要だからどんどん浸透させろと働きかけ、そうやって学年で浸透して行きました。私個人が教科担任としてだけではなく、学年全体で力を入れていこうとなった瞬間です。

 

できるところから導入にチャレンジ

3点目は教育の質的転換です。これを迫る声は、いろいろなところで上がっていましたが、ようやく高校の中まで届くようになっていました。最近は少子高齢化で地域の人口基盤が小さくなって、学校の統廃合が起こるようになりましたが、そうした時代にも生き残ることができるよう改革しなさい、という要請が届いたのです。またグローバル化にも対応しなさいという要請もきました。2013年の初めです。

 

その半年ほど前から、アクティブラーニングの重要性を整理した概念は学校にも伝わっていました。組織的に導入したいと思いましたが、そんなに簡単には学校として導入できるものではありません。当面は「自主的・個人的な導入」の段階がありました。同じ教科教員同士で「授業の中でこういうことをやっているけれど、どう思う?」とまずは私の授業を同僚に見にてもらいました。そうすると「じゃあ自分もやってみようか」という同僚が現れ、テスト前の勉強のときにやってみようという動きが起きてきました。

 

そのような時に、少子化やグローバル化に対応せよとの声が届いたわけですが、その場合も、本校の財産である教科指導力を崩さないということを、校内の共通認識とすることができました。そして、そのためにアクティブラーニングを導入してみよう、という運びになったのです。

 

従来の教え方には限界があるわけですから、授業の質的転換を何とか実現しなければなりません。しかもこの時点でほとんどの教員はまだアクティブラーニングを知りません。私は改革を企画する立場にいましたので、アクティブラーニングという「言葉」をとりあえず改革の目標に入れ込みました。ただし、それは書類上のことですので、では実際にどう進めたかを話します。これが4点目になります。

 

まず、アクティブラーニングの世界では有名な小林昭文先生に、年間5回本校にお越しいただきました。できるところから始めるということで、理科と数学の2教科が先行で導入を進めることにしました。

 

まずは理科から始め、夏休み前にアクティブラーニングの授業実演をしてもらいました。いつも私が指導している生徒を小林先生流にご指導いただきました。

 

数学科は、科を上げて一丸となり、小林先生にアドバイスを受けながら広めていきました。このころの数学科は、失敗してもいいからとりあえずやってみようという雰囲気でした。そうなるとそれまでは様子見をしていた若手が始めました。ぼくらの世代がまず失敗をすると若手が安心してチャレンジできます。失敗したら、「ああ、失敗しちゃった、ワハハ」と明るく言える。この時期は若手がノウハウを開拓していった時期でした。

 

そして、理科と数学だけにアクティブラーニングの導入をとどめていてはだめだと思い、現代社会でも試行しました。

 

このように多くの教科でアクティブラーニングを試みたのが、2013年の終わりごろのことです。当時は誰もアクティブラーニングを指導できる者はいませんでした。アクティブラーニングがわからないベテランが、アクティブラーニングをやりたい若手と一緒になって、小林先生が作られたワークシートを使って、授業デザインしていきました。

ふり返って良かったと思うのは、これまで私達はフラットにここまで深く授業について互いに話し合ったことはありませんでした。腹を割っていろいろ話してみると、心通じるものがたくさんありました。これで教員間の風通しがとても良くなりました。

 

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小林先生のワークシート
小林先生のワークシート
AL型授業をつくるための対話用ワークシート.pdf
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