vol.1 国連で働きたい!という、幼い時からの夢をかなえるために
吉岡利代氏
国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ(上級プログラムオフィサー)
<タフツ大学 学部課程(国際関係学・経済学)卒業>
[Profile]
国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ上級プログラムオフィサー。高校、大学を米国と英国で過ごす。留学から帰国後、ゴールドマン・サックス証券の調査部に勤務したのち、国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR) の駐日事務所にて日本国内の難民申請者の保護活動に従事。2009年4月、ヒューマン・ライツ・ウォッチ東京オフィスの創設メンバーとなり現在に至る。The 41st & 44th
St. Gallen Symposium参加者、2011年Tofu Project メンバー。2011年AERA「日本を立て直す100人」に選出。2011年世界経済フォーラム(WEF) Global Shapers Community (GSC)に選出、2013年度キュレーター(代表)。
→ヒューマン・ライツ・ウォッチHPはこちらから
■アメリカの高校から、国際関係を学びたくてアメリカの大学へ
私が現在勤務する国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ(Human Rights Watch:HRW)は、世界90か国の人権問題調査と、問題解決のための政策提言を行っています。1978年創立で本部はニューヨークにあり、2009年4月に、アジア初のオフィスが東京に開設されました。私はその立ち上げから関わっています。
今の仕事に就いたきっかけは、15才の時家族の転勤でワシントンDC近郊の現地の高校で学んだことです。高校卒業後日本に戻るか迷いましたが、アメリカで暮らす間に、国際関係論を学びたいと思うようになったのと、多様な学生と学びたいという2つの理由で、アメリカの大学への進学を決めました。
大学は、ボストンのタフツ大学です。大学院にフレッチャースクール(The Fletcher School of Law and
Diplomacy)があって、国際政治学に定評があるため、学生の3割が国際関係を専攻しています。私も、国際関係論と経済学をダブルメジャーで学び、3年生の時には交換留学でオックスフォード大学へ行きました。4年を卒業後は、ゴールドマン・サックス証券東京オフィスの投資調査部に就職し、2年間アナリストの見習いとして働きました。これは、後で詳しくお話ししますが、国連で働くという目標の準備のためでもありました。その後国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の東京事務所で約1年働いた後、ヒューマン・ライツ・ウォッチ東京オフィスの立ち上げに関わって、今に至ります。このように、私にとってはアメリカの学校で学んだことが全ての原点になっています。
■国連で働くための3つの要件をみたすキャリア設計
幼い頃、まだ留学するずっと前から、国連で働きたい、国際協力に関わる仕事がしたいと思っていました。そして、高校・大学と進んでキャリアを選ぶ時、実際の国連職員のキャリアを調べてみると、国連で働くためには、実務経験・大学院修了・途上国などでの現場経験の3つが必要であることがわかりました。そのため、自分のキャリア設計は、この3つを満たすよう組み立ててきました。
大学を卒業して就職する時には、実務経験を積む場として、金融を選びました。どんな仕事をしていく上でも、お金の動きを知ることはどうしても必要ですから。そして、留学経験が活かしやすい外資系を選びました。アナリストとしての企業調査は、各国の政治や経済、産業の動向などあらゆる情報が必要ですし、社会人としてのスキルを身につける大事な期間だったと思っています。
金融の仕事をこのまま続けようかと迷いましたが、やはり自分の夢を実現したい気持ちが募り、2つめの現場での経験を積もうと決めました。そこで日本国内を現場とする国際協力を経験するために選んだのが、国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR)です。
ここで1年働いてみてわかったのは、国連は大きな組織なので、当時の自分ではまだ役に立てることがないということでした。ですから、国連に入るのであれば、外で自分を鍛えて十分役に立てる人間になってからにしようと思い直しました。
UNHCRで働いていた時に出会ったのが、HRWの人権運動です。「ぜひやらせてください」と押しかけて(笑)、東京オフィスの立ち上げから関わりました。現在は、世界中で人権が侵害されている人たちから話を聞き、実態を調べ、解決のために各国政府や国連などに働きかけています。例えば日本国内では、調査のみならず、世界の人権問題がなくなるようするために日本は何をしたらよいかを考え、外務省や国会議員などに政策を提言しています。そういった時の視点を持つことができたのも、留学経験からでした。国内にいた中学生時代にはわかりませんでしたが、外から見ると、日本はポテンシャルが大きいものの、まだ人権分野ではそれが開花していない状態であることを強く感じます。
こういう話をすると、「日本に人権問題はあるのか?」と聞かれることがよくありますが、例えば日本で虐待などが理由で親と暮らせない子どもたちは、約9割が児童養護施設で暮らしていますが、国際的な対応とは乖離しているのが実態です。施設では、一人の職員が何人ものケアを必要とする状態の子どもを見なくてはならないこともあり、守られた環境で成長するのが難しい現状です。こうした環境整備も課題になっています。
■大学生活はすべてが期待以上。多様な学生との出会いや議論を通して学んだ
大学生活は、昼間明るい時はひたすら図書館で勉強して夜はしっかり遊び、翌朝はまた図書館で勉強、という毎日でした。私が大学に期待していたのは、様々な国のいろいろな学生と会って、ディスカッションすることでしたが、その点では、期待どおりでした。
入学前にはわからなかったことで期待以上だったのは、留学してきていた日本人の年上の方々とのつながりができたことです。タフツ大学には、省庁や商社から留学している先輩がたくさんおられ、その方々とお話しする中で「働くとはどういうことか」を教えていただいたのが、キャリアについて考えるきっかけになりま
した。日本にいてはとてもお会いできないような方々と交流できたのは、たいへん貴重な経験だったと思います。
また、大学のあるボストンは、学びの横の広がりが大きいという特徴がありました。タフツ大学の他の学部だけでなく、フレッチャースクールでも、ハーバード大学やMITのような他大学の学部やMBAでも、興味を持ったものがあれば、どこでも学ぶことができました。美術館でアートの授業もありましたね。
勉強の量はとにかく多かったです。それぞれの授業で毎回ぱっと見で読み切れないくらいのリーディングリストを渡されて、それをひたすら読んで調べてエッセイを書き、自分の意見をまとめてプレゼンするまでが一連の流れでした。膨大な資料をいかに読みこなして、自分の意見としてまとめるかが大事なのです。そういったプレッシャーの下で勉強し続けたことが、今は自信につながっています。
大学では、クラブ活動で競技ダンスをしていました。いろいろな大学のダンス大会へ、大学の代表として出場して踊ったのも本当に楽しかったです。
■質疑応答から
Q1.卒業後のキャリアとして、いろいろな選択肢がある中で、なぜ日本で働くことを選ばれたのでしょうか。
一つは、アメリカで日本語を話せる日本人と、日本で英語を話せる日本人を比べたら、日本の方が社会に役に立つ仕事ができるのではないかと思ったこと。もう一つは、世界的に見ても、日本の新卒採用のシステムはある種の文化と言ってよいほど特殊であることです。採用した人に対して、最初にいろいろな知識やマナーを体系的にインプットできる期間や体制があるのは日本だけです。学校を卒業して初仕事というのは一生に一度のことなので、これは活用したいと思いました。
Q2.アメリカの高校で感じたことはどんなことでしょうか。
日本は、世界の中の1つの国にすぎないことがわかりました。私が通っていたのは、首都のワシントンDCの近くの学校でしたが、日本のことは意外に知られていないのです。だから、自分で積極的に日本の歴史や文化を学んで、「日本ってこういう国なんだよ」とアピールしました。そのためには、日本の代表として、日本のことをできる限り学んでおくことが大事だと思います。
Q3.アメリカを選んだ理由、選んでよかったことはどんなことでしょうか。
多様性に惹かれたことが大きいです。私は、授業で皆で意見を言ってディスカッションをするのが大好きなので、アメリカの大学の授業スタイルがとても合っていました。大学3年の時、イギリスに交換留学に行きましたが、オックスフォード大学の授業は、週に1回教授とマンツーマンで1時間ほどディスカッションすることが中心で、あとはひたすらリーディングして、レポートを書くというスタイルだったので、よけいにそう思われました。
Q4.好きな本を教えてください。
日本人の起業家の話が好きです。最近読んだ中で特に勇気をもらえたのは、眼病の治療薬のバイオベンチャーをシアトルで立ち上げた眼科医の窪田良氏の『極める人ほど飽きっぽい』(日経BP社)です。
Q5.今につながる進路選択や、学び・生き方などにおいて、吉岡さんに影響を与えた人を教えてください。
元・国連難民高等弁務官の緒方貞子さんです。日本人の女性として世界中の難民に寄り添い、常に現場の声を聞き決断を下したリーダーである緒方さんは、国際人権の道を目指したこれまでの人生の灯台のような存在です。
もう1人は、西水美恵子さんです。世界銀行の元・副総裁です。頭・心・身体を直結させ、現場で感じた理不尽さ、怒りを世銀という大きな組織を動かすパワーにし、世界中の声なき声に光をあてたお姿をとても尊敬しています。
Q6.今後の目標や夢を教えてください。
学生の時から考えていたキャリアの3つの要件のうち、まだ残っている大学院で学ぶことをいつか達成したいと思っています。どういう分野にするかは具体的にはまだ決めていませんが、自分が今まで歩んできた道だからこそできたことにつながる次のステップを探したいと思っています。
Q7.留学を目指す人へのメッセージをお願いします。
留学は、自分を見直すとてもいい機会だと思います。「なぜ勉強したいか」「なぜ今なのか」「何を学びたいのか」等など、棚下ろしして並び替え、今後を考えることの準備ができます。時間を惜しまずに、自分をじっくり見つめ直してください。
外国へ出ておもしろい人と会うことで、自分が化学反応を起こすことを感じるのは、とても嬉しい経験です。日本は、進むべきと思われている道が限られていて、そこから外れるのが孤独で怖いので、皆が同じ道を行きがちです。海外では、道は外れてこそ価値があり、それが当たり前だと思われています。留学する皆さんには、ぜひその違いを楽しんでほしいと思います。
吉岡さんにおすすめ本をうかがいました。
『誕生日を知らない女の子』
黒川祥子(集英社)
家族からの虐待で心身に傷を負いながらも、懸命に生きる子どもたちの声。現代社会における子どもの権利とは、人間の可能性とは、家族とは何なのかを見つめた感動の物語です。
赤ちゃんでも、高校生でも、大人でも、人間として尊厳ある一生を過ごす権利を持っています。この本の主人公たちが抱える心の傷は、あなたの心にもあるかもしれない。目の前にいる友達の中にもあるかもしれない。あなたとわたしとあの子の権利を守るため、社会が力をあわせて何ができるか、想像してみてください。この本に刻まれている沢山の子どもたちの声の中で、特に自分の心に響く声は何か、なぜそのように感じるのか、自分に問いかけてみてください。
『夜と霧』
ヴィクトール・フランクル(みすず書房)
人間とは何か、命はどれだけ強く、そして儚いものなのかを考えるきっかけを与えてくれます。
『アルケミスト: 夢を旅した少年』
パウロ・コエーリョ(角川文庫)
夢を持つこと、自分を信じること、そうすれば世界が助けてくれること。人生の知恵として心の引き出しにしまってほしい一冊です。
『世界がもし100人の村だったら』
池田香代子(マガジンハウス)
発売時から世界は変わりましたが、地球のなかで日本人として平和に暮らし、教育をうけられることが、どれだけありがたいことなのかを教え続けてくれる一冊だと思います。
映画『バベルの学校』監督:ジュリー・ベルトゥチェリ
アイルランド、セネガル、ブラジル、モロッコ、中国…。11歳から15歳の子どもたちが世界中からフランスのパリにある中学校にやって来た。みんな違って当たり前。違いを認め合い、友情を築く素晴らしさが詰まった作品です。
映画公式サイトはこちら http://unitedpeople.jp/babel/
~アゴス・ジャパン新春特別セミナー
コロンビア大学、タフツ大学卒業生が語る「留学体験とその後のキャリア」講演より