諏訪康雄先生 法政大学名誉教授
社会人はどのように育てられてきたか
近代において、学校制度が整うまでは、人材の育成は個人指導や塾、あるいは職場における徒弟制度などによって行われてきました。アダム・スミスという有名なイギリスの経済学者は、昔のことですから大学で法律も教えていて、『法学講義』という本が出ていますが、その中で、徒弟修業をするためには、親御さんが一定のお礼のお金を親方に預けて、親方は一人前の職人になるための訓練をしていくという義務を負うという当時の事情を書いています。つまり、徒弟だからといって雑用をやらせたり、奴隷のようにこき使ったりしていいわけではないということです。このように長い間、個人指導や塾や工房が、社会で一人前に働く人になるための人材育成を担ってきました。
ところが、親方にあちらで3人の徒弟、こちらで4人の徒弟と分散していると、どの親方に付くかで徒弟間の訓練格差が生まれてしまいますよね。ですから近代社会になると、これを学校制度で一元化・標準化して、ブレの少ない人材を作るようになりました。つまり、教育の質を平準化、標準化するのが近代の学校の仕事だったわけです。ただ、学校が先ほどのようにIQに特化していくと、人間育成の部分、つまりEQの部分が置いてきぼりになってしまう。こうしていろいろな問題が社会に起きてきます。
長い年月をかけて生まれ育った学校制度は、実に優れた制度です。学校制度の特徴として、「共時・共場・共験・共友」(きょうじ・きょうじょう・きょうけん・きょうゆう)と言ったりしますが、共時というのは時を同じくして、共場は同じ場所に、そして同じ話を聞いて同じような経験をする(共験)。そうするとこれを繰り返していくとだんだんに仲間意識が生まれてきて、学友や生涯の友人ができます。これは、どこかの工房で訓練を受けたりしても同じことです。ですから、この共時・共場・共験・共友というのは、人材育成の手段、人的ネットワーク形成の方法として、非常に重要です。
今は世の中に、放送大学とか通信教育、Eラーニングというものがいっぱいあります。特に放送大学などは、12チャンネルに合わせると素晴らしい授業がいつでもタダで見られます。しかし、あれを毎日家に帰ったらかじりついて見ているという人には、今まで会ったことがありません。内容はすばらしいし、しかもタダなのに、見ている人は決して多くはないのです。なぜでしょうか。それは、人間というものは、何かを一人でやる、しかも続けてやるというのはことのほか難しいからです。それに、家でテレビなどを見ていると、いろいろ気が散ることがありますが、学校へ来て教室に入ってしまうと、そういうことはできないわけですね。拘束による集中という点でも学校というところは優れています。しかし先ほど言ったように、社会人として力を発揮するための訓練の面では、十分にできていない部分があります。
そこで、それを教育の中に取り入れよう、ということで経済産業省の皆さんと一緒に作った概念が「社会人基礎力」でした。その後多くの学校でこれを取り入れた教育が進んだので、大変うれしく思っています。
社会人基礎力
社会人基礎力とは、ものすごく簡単に言えば、3つの能力が社会に出たら必要である、ということです。第一は、指示待ち人間は困るよね、ということです。「おい、君は何をやっているんだ」と言ったら「だって誰も何も言ってくれませんでした」というのがこれです。だから、自分から前に踏み出そう。
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マニュアル人間も困りますね。マニュアルがないと何もできない、何もしない、という人がよくいますが、これも不測の事態が起きたら何も対応できなくなってしまうので問題です。だから、自分なりに考え抜こう。
そして、先ほどお話ししたように、皆とコラボレーションができない一匹狼では、大きな仕事はできません。だから、チームで働く力を付けよう。これらの3つの要素を、それぞれ細かく定義づけて提言をしたのが社会人基礎力です。
実は同じ頃、アメリカの大学教育でもこんなことが言われていました。アメリカの学部教育をcollegeというのですが、この綴りをバラバラにして頭文字を使って、下図の7つの能力がこれからの人材には必要だというものです。
1番目がコミュニケーション能力(communication)。2番目が組織編成能力(organization)、組織を作ってみんなで大きな仕事をする能力。3番目がリーダーシップ(leadership)。4番目のロジック(logic)というのは、論理的なロジカルシンキングができる能力です。5番目のエフォート(effort)というのは、努力というよりはある目的に向けて集中して目的達成していくという能力です。そして6番目にグループスキルズ(group skills)とは、グループの一員として皆とチームの一員としての仕事を担える能力。そして最後の7番目には、アメリカらしくアントレプレナーシップ(entrepreneurship)、起業家精神やベンチャー精神みたいなものがないといけない、というものです。これは先ほどの社会人基礎力と対比すると、きれいに重なります。
よく見てください。「知識」はどこにも出て来ないのです。これを見て、「Collegeのスペルにはナレッジ(knowledge)のkがないから省いたんだ」と言った学生がいました。確かにそうかもしれませんが、でもちょっと違うのです。
経団連が、毎年メンバー企業にどういう人材を新卒で採りますか、という質問をして発表しています。最新の数字、2018年の今年の4月から働き始める人を採用したときに何を重視したかということを1位から10位まで挙げたのが下図です。
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コミュニケーション能力、主体性、チャレンジ精神、協調性…見てください、先生も生徒も親御さんも、大学に行ったら専門性を身に付けると言うけれど、新卒採用の評価項目として、専門性はようやく11位です。知識なんて、どこにも顔を出しません。つまり大手企業には、変化する時代に合わせて仕事をするときに必要なのは、このような基本的な必要条件になる能力であり、十分条件にあたる専門性や仕事上の知識などは後から身に付けていけばいいという考え方があるようです(もっとも最低限の知識がないと困るので、一定程度の知識はあることが前提でしょうが)。
ちなみに、転職の時に重視する項目は違います。エン・ジャパンという転職斡旋会社は2年くらい前に調査をして、次の3つが大事だと言っています。1番目は専門性です。即戦力としてすぐに役立たない人は困る。2番目がコミュニケーション能力。みんなと協業、コラボができない人は困る。つまり分業能力があってコラボレーションができることを求めています。そして3つ目が、中途採用の場合は一定の年齢で採用しますから、リーダーシップです。先ほどの新卒の時とはずいぶん違います。新卒の時に、先ほど挙げたような能力が必要だからと言って必要条件である基礎能力ばかりに留まっていると、その後にキャリアが伸びない可能性もあるのです。
知育・体育・徳育と学校
学校の話に戻ります。近代社会の中での学校教育の目的は、知育・体育・徳育だと言われてきました。知育で有名な進学校、体育で有名なスポーツ校は誰でも知っています。でも徳育で有名な学校は皆さんご存知でしょうか。あの学校はすごいね。生徒さんも先生も、あるいは親御さんもみんな徳がある人ばかり、という学校をどれくらい聞いたことがあるでしょうか。
徳育、つまり道徳というのは、人と一緒に何か仕事をするときに大事な能力、先ほどから話している協業能力の基本です。「あの人とまた一緒に仕事をしたい」と言われるようになるにはどうしたらよいのか。嘘をつかない、罵らない、すぐ怒らないなど、いろいろあると思いますが、つまりは社会的な人間性です。この社会的な人間性を育てるということで有名な学校はなくはないのでしょうが、社会は忘れがちです。だからこそ、少なからぬ人が会社に入って初めて身に付けなければならなくなるのですが、会社の方は、会社に入ってからそんなことをやってくれるんじゃ遅いよ、とお互いに責任をなすり付けています。
知育と体育は、基本的には分業能力です。昔流に言えば、知的労働と肉体労働をやる上で必要ですし、どちらをするにしても健康でなければいけませんので、そうした基本を身に付ける必要がある。そういう意味では分業能力です。ただし、スポーツも団体競技の場合は協業能力も高いので、いい学校に入ってラグビーとか、アメフトやサッカー、野球をやっていたという人が就職するときにうまくいくというのは、分業能力と協業能力がそれなりに身に付いていると会社側が見なすからなのでしょう。事実、会社の経営層には、体育会上がりの人が相当に多いです。
進学競争に明け暮れがちの知育は、もっぱら個人の分業能力を育成しますが、協業能力はあまり身に付けない可能性があります。これは、私が大学で同僚の先生と付き合っていても痛感したことです(他人のことは言えませんが)。皆さん秀才ではありますが、どうしてこんなに協力できないのだろう、という人が相当にいて、本当に参ったのを覚えています。
昨今しきりに言われている「新しい学力」というのは、この知育の部分でも協業能力を身に付けようというものです。皆で調べたり、ディスカッションしたり、一人ひとりが分担してやったことを寄せ集めて統合したりして、一人ではできないような大きな課題を解いていこう、という動きは、実は知的な協業能力を身に付けようということだったのです。複雑で困難な経済社会の仕事や業務(いろいろな課業、タスクの集まりです)、このタスクは一人や二人の力ではどうにもなりません。現に、「私が政治家になれば世の中を一挙に変えてみせる」と言う人が時折いますが、そんなことはほとんどあり得ないですよ。中にはすごいリーダーシップでまとめて協業ができる人がいるかもしれませんが、普通はそうではない。多数の多様な人々の協業、コラボレーションで社会が成り立っているのですから、それをうまくやっていかなければならないのです。
その点では、会社の方がまだ楽です。規模が大きく、多様な人びとを相手にする政治は、大変でしょうね。会社は相対的に限られた範囲の存在ですが、それでもコラボレーションができない人がいます。協調性が重要だ、ということが長い間日本で言われてきたのは、それは協業能力を見ていたからなのです。